銀輪の風:世界の、シクロ・リポート:BS-TBS毎週月曜23:30〜24:00放送

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墜落事故と自転車

ディレクターA

昨日、八月十二日は、乗員乗客520名が犠牲になった日航機墜落事故の二十二周年を記念する日である。私はある思いから、御巣鷹の尾根へ、慰霊登山をした。思いといっても、ただ関連の本をいくつか読んだだけなのであって、自転車の関わる事故、あるいはそれが急増しているといった社会的な認知、その気運などについて取材を進めている普段の私が、ひといきに数百名の命を奪う(それも圧倒的な凄惨さで・・・)航空機事故というものの存在(それは現実に起きたことであった!)を、決して豊かとはいえない想像力を動員して、懸命に描いては暗澹として考え込む、それだけのことではあったが、それでも実際に足を運ぶ段になれば、多少の気負いを感じざるを得なかった。が、それは後述することにする。

それにしても、520はすさまじい。御巣鷹の尾根その中ほどに立つ「昇魂之碑」。その周辺に散在する犠牲者たちの墓、墓、墓。事故当時の悲惨な状況は、地元群馬県警にいて遺体の身元確認作業を現場で指揮した飯塚訓氏の著す『墜落遺体』に詳しいが、とにかく想像を絶した世界であった。山岨を分け行けば、そこここに立つ墓標と卒塔婆が、ここに一人の人間がどんな姿でかいた、そのことを森々と伝えるばかりだ。遺族会が建てた、全犠牲者の名を刻む石碑。数文字からなる氏名が、520の集合をなすとき、その事実の巨大さにあらためて驚く。テクノロジーがもたらす便利さと引き換えに、私たちは「ある程度」のリスクを呑まなければならないという事実は多くの場合、受け入れ可能に思われる。毎年数千人からなる人々が交通事故で命を落としているのだが、私たちにこの社会からクルマを放逐する気合があるとは思えないし、より安全を追求するための経済的な負担さえも、相当程度、惜しむのに違いない(障害物を検知する最先端のセンシング技術はかなりの精度である由、だがコストの問題が解決していない)。

もちろん、交通事故で亡くなった人々とその遺族とにとっては、「ある程度」ということありえない。私たちはほとんどの場合、他人の幸福を実現するために生きているわけではないから、自ら(あるいは愛する家族)の死が、(交通機関における)利便性と安全性をより高い次元に止揚させることに寄与するのであっても、それが実感できなければ意味がなく、その点で私たちは他人の犠牲をまさしく他人事として、その後の生活により改善された社会を実感できる限りにおいてのみ、「ある程度」のリスクを便利さに引き換えることができるのである。しかし、この520もの地獄的な死を目の当たりにするとき、私たちはその選択が如何に安易で無自覚なものであったかを知るのである。実際、この事故の業火に焼かれた人々の苦しみは日常の想像レベルを遥かに超えたものであるために、私たちの無自覚的な選択の裏がえしの現実について、私たちの想像力はいつにない力を得るのである。

私たちは果たして、本当に、御巣鷹の尾根に散った520の人々のようになってもなお、東京から大阪までを一時間で行く便利さを追求したいと望むものだろうか。新幹線で行けば済むという問題でもないが(時速300kmで脱線でもすれば、それこそ墜落とほとんど同じレベルの巨大事故になるだろうから)、交通機関というものが私たちに突きつけている現実は、あまりにも恐ろしい。そのことに社会がもう少し意識的にならなければならないと考える私は、結局、自転車のことが言いたかったのである。

自転車。そのあまりにも手軽で、どうもがいても東京・大阪間を結べない(「ツアー・オブ・ジャパン」を直線道路でやれば別だが・・・しかし一日では無理だ!)、きわめて安全な(爆死したりしないという意味で)乗り物は、私たちの選択肢として、大いに認められて然るべき存在だ。歩道でお年寄りを轢き殺す暴走自転車の類はあえてここでは埒外として措くにしても、原形をとどめぬほどの死に方、その圧倒的な悲惨さとは無縁であるがゆえに、自転車は航空機に優る乗り物であると、多少のハニカミをこらえつつ、そのように私は言うのである。そういった「飛躍」がなければ、自転車人としてのアイデンティティを保つことができないのは、これを読むあなた(定めし周囲が鼻白むほどの自転車人であることだ)にも多少の覚えがあるはずである。「なんぼ言うたかて、東京まで自転車こいで行けますかいな」という反論は尤もだが、むごい死に方をしにくいことも事実であれば、あえて私は自転車の持つ力(疲れるほどに「か細い」がゆえに)について、思いを新たにするわけなのである。

慰霊登山を行ったこの日、私は少し別の地点からも、自転車のことを考えていた。御巣鷹の峰々は、群馬県の上野村というところにある。長野県との県境にある同村へ行くのには、上信越道の下仁田I.C.を下り、その後たくさんのトンネルを抜けて行かねばならなかった。ダムの建設が周辺で行われている様子だったが、普段あまり一般の車両は通らないところなのであろう、トンネル内の照明も、必要最低限のものであった。ここで思い出したのである。例の「八十歳サイクリスト、日本一周成功目前に事故死」というニュースだ。

八十歳にして自転車日本一周をめざした原野亀三郎さんの存在とその衝撃的な死は、NHK『クローズアップ現代』で採り上げられるほど、私たちに鮮烈な印象を残した。八十歳という年齢の人間が日本一周に成功してしまうという、自転車が私たちにもたらす信じられないほどの力と、後ろから来たトラックにはね飛ばされ、一瞬で命を奪われてしまうというその呆気ないほどの脆弱性について、それら二つが究極的にあらわれた出来事であったように思う。そんなに危険であるとは、航空機の存在を否定できるほど自転車は安全であると誇った上の記述と矛盾するではないかという話になりやすいように感じられるけれども、例えば私はこう考えるのである。自転車に乗っているときに上から飛行機が墜落してくれば、その自転車乗りは乗客と同じくらい悲惨な死に方をしなければならないわけで、原野亀三郎さんのような悔しすぎる轢死に関しても、それは自転車に乗ることの危険性が現実的に潜在することの証明ではあっても、自転車そのものが惹起しうる悲劇の可能性という点においては、あまりにもその被害者的側面が強すぎはしないか、というのが私のギリギリの抗弁なのである。

であるにしても、だ。それらトンネルを走ってみれば、やはり相当に危ない道である。運転するクルマのヘッドライトをハイビームにしてもまだ十分でないと思われるほど視界は暗く、であるがゆえに早いところやり過ごしてしまいたいという心理も働くのか、ゆっくり走るというわけにもいかない。ありがたいことに、私がトンネルを通過している間、一人のサイクリストとも遭遇することはなかったのだが、この先に自転車が走っているかもしれないと力んでステアリングを握っているドライバーも多くはないと思われることから、やはりトンネルというものは自転車乗りにとって、まさしく恐るべき「煉獄」であるに違いない。しかし、日本一周をするとなれば、群馬県上野村に限らず、斯様のトンネルを抜けなければならない(その先に白銀の世界があるにしてもないにしても、)場所が無数にあるだろうことは、山国日本のことである、想像に余りあるというものだ。

そして、そこを変えたいと願うのが、自転車番組『銀輪の風』の本分というものである。これについては、また稿をあらためて書きたいと思っているが、とにかくこの国の道路行政というものはクルマ中心にできているから、クルマ自体が(つまりそれを操るドライバーが)ある種のコントリビュートをこの社会に対してしていかない限り(ちょうど私が自転車の存在に気をもんでいたように)、自転車生活を送るうえで潜在的に負わなければならないリスクの値はいつまで経っても減りはしないし、原野亀三郎さんの如き悲劇も、どこかでまたその二の舞を演じられぬとも限らない。さてさて危うい世界に生きているものである、私たちというものは。

日航機の墜落、これに大きな心理的負担を感じてきたのは、私自身が、この大事故を惹き起こしたエアラインの関係者の肉親として生きてきたからに違いない。それは私のまだ子供時代のことであって、直接的な責任はおそらくないのであるかもしれないにしても、肉親として、その会社の禄を食んできたという事実は重い。私がいまこの歳(もういい大人である)になって、事故に関するいろいろな文献その他を渉猟し、かの会社、なかでも共に苦闘し、激烈に死んでいった乗務員たちの存在に想いを致せば、それを責むる気持ちなど到底持ちようもない(いわゆる「尻餅事故」の後遺症であっても、あの「陰謀史観」が事実であったにしても)。しかし、やはり何の手落ちもなかったはずの一般旅客は、その悲劇性がよりいっそうおびただしい。それについて、わが粗雑の想いを及ばすことは、この二十二年の間の、いわば宿痾のようになっている。かの人々が死んだ後もなお、さらに改善された利便性と安全性、その結ばれた実のうま味を齧る者として、つねに彼らの存在は私の中で重要であった。こまかいエピソードもあるのだけれど、ここではそれに触れない。あれだけの事故だもの、『クライマーズ・ハイ』の主人公ならずとも、巨大な社会的インシデントとして、多くの人々の人生を変えてきたのである。初めて登った御巣鷹の尾根は、陽光に木々の葉きらめく、美しい普通の山であった。共に登る遺族たちの声はまた、透き通るほどに明るく、私の気負いなど軽々といなしているかのようであった。

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コメント

今日(2007年11月27日)この記事を読みました。

御巣鷹山の事故の翌日?、搭乗者名簿から各界有名人の名前がメディアにて報道されていました。
我々自転車競技ファンから見ればその名簿中から見えた名前は当時西の実業団のシマノレーシングチームの監督の辻昌憲監督、辻氏はスプリント競技(当時はスクラッチ)で日本チャンピオンでもある長義和氏を育てたものの幻のモスクワ五輪となり続くロス五輪では当時シマノ工業所属の坂本勉選手が出場し見事銅メダル、しかし共産諸国が出場しなかった五輪ではなく本人は世界諸国がすべて出場した五輪でのメダルが欲しかったはずですが志半ばでの御巣鷹の尾根での悲劇、22年の時を経て五輪出場枠の確定、出場する選手には我々自転車ファンのそして辻氏の果たせなかった夢を乗せ五輪でのメダル獲得を切望しています。

またディレクターA氏にはもし良ければ石川県内灘町の自転車競技場の辻氏の五輪の碑を一度取材していただければ幸いです。

noguchi さん(2007年11月27日 20:28)

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