銀輪の風:世界の、シクロ・リポート:BS-TBS毎週月曜23:30〜24:00放送

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銀輪の「風」をどう撮るか

ディレクターA

NHKの人気番組『プロフェッショナル』で、アニメ映画監督・宮崎駿氏が特集されていた。密着ドキュメントという態の、新作プロモーションではある。しかし、若手ディレクターが小型HDVカメラ一台で作った映像作品ということで、興味深く見た。

民生用ビデオカメラですべて撮(や)ってしまう、という手法は、別段新しいものではない。オウム信者に密着した『A』の森達也氏や、ビデオジャーナリストの草分け・神保哲生氏など、90年代にデビューした気鋭の映像表現者たちにとって、小型ビデオの登場はまさに旱に雨が降ったようなものであった。その「非テレビ的」なカメラ特性(あくまでも小さなレンズは、撮影対象に所謂「カメラの向こう側」を意識させない)は、彼らをして取材対象の「ホンネ」に限界まで接近せしめ、結果多くの「テレビ的」収穫をもたらし、彼らの作品の視聴機会は飛躍的に増え、テレビという大手既成メディアの中に特殊だがしかし確実な地位を築くに至った。

テレビもやがてそれを取り込んでいった。ドキュメンタリーや報道など、情報それ自体に価値があるとされるものについては、何はさてその機動力がモノを言うから、今やテレビマンたちの間に映像の専門家集団としてのプライドは、少なくとも機材という点においては、ないといってよい。ニュース番組でアマチュア(取材記者、ディレクターを含む)のビデオ映像を見ない日はなく、それは初期ビデオメイカーたちの志した世界とは若干違うものであるかもしれないにしても(※)、ともかく大掛かりな撮影取材というものが要請される機会は徐々に限定的なものになりつつあることは確かだ。

※その後小型ビデオ映像がニュース番組などで繰り返し所謂「決定的瞬間」的に使われたことによる「刷り込み」で条件反射的な臨場感を付加できると気づいた演出サイドが「あえて」小型カメラを使わせるという「テレビ的」現象も惹起している。

さて、『銀輪の風』である。この番組は「本邦初・全編ハイビジョンのレギュラー自転車番組」ということを謳っているので(どこにも書いてないかもしれないが・・・)、かなり映像コンシャスな制作スタイルを採っている。だからあまり小型カメラの出番はない。『銀輪の風』は自転車競技のスポーツドキュメンタリーであって、あくまで「娯楽」として観ていただく番組だから、可能な限り美しく練られた映像でお届けしたいと思っている。

しかし、だ。取材される自転車選手にとってみれば、報道だろうがスポーツドキュメンタリーだろうが同じ「テレビ取材」である。大掛かりな撮影取材には、それなりの負担を同じように感じるだろう。「それでも」撮らせてください、といって私たちは取材のお願いをするのだが、そうすることに「そこまで」の意味があるかどうか、もう一度考えてみる必要はありそうだ。何となれば、私たち娯楽番組制作者は、実生活に影響のない情報をわざわざゼロから作り上げて視聴者の皆様に提供しているのであって、そこに何らの「必要性」はないからである。つまり彼らを公衆の電波に乗せて報ずるほどの「大義」がないというわけだ。あえて言うならば。

番組の企画というものは簡単で、「面白」そうだからやるのであるが、「面白」がられる取材対象にとってはしかしとんだ迷惑というものであろう。露出趣味のある人ならともかく、基本的にテレビに取材されたくて人生を頑張っている人はいないのだから。宮崎氏は「小型カメラなら密着していい」としたのだそうだが、さてさて幾万歩の譲歩であろうか。私たちは上映された宮崎アニメを観て「面白」がるわけだが、宮崎監督にとっての「面白がらせ」は、そのことのみで十分なはずである。描きあぐんでいるところをもって私たちに「面白」がってほしいなどとは思っていないと思う。自転車選手も同じことだ。彼らの仕事(あえて言えば「面白がらせ」)は、あくまでレースの中にある。その順位や記録において、その達成の瞬間において、すべては表出されていると考えるべきなのであるから、わざわざレース以外の話を練り上げる必要はない。密着すればいいというものではないのだ。

そこで、だ。それゆえに「こそ」映像の美しさが意味を持ってくるのである。私たち『銀輪の風』にとっての臨場感、迫真性とは、何も被写体の「ホンネ」にあるのではない。彼ら自転車アスリートたちの汗そのひとしずくを、私たちのカメラは映し出そうとするのである。汗ひとしずくの煌めきに、スポーツドキュメンタリーの本分はある。小型民生機でなければ立ち会い得ない瞬間(「テレビカメラはNG!」ということは多々ある)なら、それは全然オッケーだ。しかし、ハンディカムでは物理的に映らない、また切り取り得ない写像(まさに銀輪の「風」!)というものは確かにあり、それに執着する熱意その中に「こそ」娯楽番組制作者としての良心があると考えるのはややオポチュニスティックに過ぎるだろうか。「大義」はもとよりないのだから、モラルもあくまで相対的なものとなる。密着した上の「ホンネ」だろうが、額の上に流れる汗だろうが、本当に「面白」かったらバンバン撮らせてもらえばよい。ただし遠慮がちに。

ともあれ、宮崎氏の番組である。私が一番感動したのは、実は彼の乗っていた車のこと。シトロエン2CV(ドゥ・スィ・ヴォ)、通称2馬力。スタジオジブリのコピーライトに「二馬力」というのがあり、いつも気になっていたのだったが、今回それを見て納得した。東京都下・小金井(美しい小金井公園の傍でないかと想像する)のアトリエに「出勤」してきた氏が乗っていた2馬力は、実にかわいくも美しいものだった。ややくすんだ水色のボディー(ボディーというにはあまりにも華奢だ)はどこかジブリ映画の水彩スケッチを思わせ、気持ちがなごむ。これに自転車積んで走ったら、さぞや美しい風景になるのではなかろうか。ルーフの幌から少しく顔を出したガチガチのロードバイク(たとえばフルカーボンのLOOK)というのはどうであろう。おそらく自転車に乗ったほうが速いというところが実にワガママでいい。自転車人たるもの、これくらいの余裕が欲しいものだ。日々ツーキンで車と「競争」している者の自戒として・・・。

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コメント

どうでもイィけど、期待してるよ!

かながわけん さん(2007年05月30日 01:16)

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