銀輪の風:世界の、シクロ・リポート:BS-TBS毎週月曜23:30〜24:00放送

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「提言」問題について

ディレクターA

私たちが今日、ある話題について無関心でいることは難しい。列島縦断中のランドナーが真夏の街道をゆく美しい日本の「自転車のある風景」がそう遠くない将来なくなってしまう可能性についてだけ考えるのではない。自転車で快走しながら“銀輪の風”をその頬に感じることさえもが不可能になるかもしれない事態について、考えずにはいられないのだ。

そう、あの「提言」のことである。

警察庁の主導する『自転車対策検討懇談会』が纏めた「自転車の安全利用の促進に関する提言」をめぐって、某有名自転車人が自身のメルマガで疑義を呈したのを皮切りに、各所で侃々諤々喧々囂々の議論が始まっている。徐々にだけれど、マスメディアでも採り上げられつつあり、昨日などはラジオの全国放送でそれを特集していた。リスナーからの意見もなかなかに興味深いものだったが、それは後述することにすることにして、まずはその「提言」について自分なりに感じたことを書いてみたいと思う。まだ「提言」を読んでいないという方は、警察庁HP内にある「『自転車の安全利用の促進に関する提言』について」という項目にある4つの文書をチェックしてみてください。

警察庁HP

この「提言」はつまり、「利用目的・利用主体に応じた自転車の通行空間の確保」という問題に今後は真剣に取り組んでいきましょうよ、ということであるようだ。そう言われれば実にもっともらしいけれども、しかし、その前提としてあったに違いない「日本の狭い道に自転車専用路を設けることは現実的でない」という了解が果たして本当に正しいものであったかどうか、自転車先進地ヨーロッパで多く見かける石畳の隘路に敷かれた美しい自転車専用路を私は思い出さずにはいられないのである。そもそも自転車専用路を通ろうとする自転車に「利用目的」も「利用主体」もないはずだけれども、歩道を走ろうとする自転車にそれを案配しなければいけないのは当然である。はじめからヤル気がないと言われても仕方がないように思うが、どうであろうか。
永田町はいま道路特定財源の見直しをめぐって大いに揉めている最中だけれども、反対派のセンセイ方にすれば「必要な道路はまだ全国に沢山ある」ということであるらしい。まさかそれが自転車専用路のことであるはずもないけれども、社会のインフラというものはともあれ、ある程度のコストを覚悟して常にアップデートを繰り返していく必要はあろうと思う。CATVで出遅れた日本がその後FTTHで世界を完全に出し抜いたかと思えば直ぐに韓国が無線通信で追い越すといった展開は、単なる企業活動の集積ではなかったはずで、国が確固たる方針を持って取り組み、争われる種類のものである。だからそのくらいの大きな意識が「交通手段としての自転車」に向けられれば、“全ての道路に自転車路を”ということもあながち非現実的な話とも言えなくなってくるのではないか、と思うのだが、どうであろうか。大前提としてそれを目指していくべきことを忘れてはいけない。しかしそんな意気込みは少々ナイーブに過ぎるのかもしれないと思ったりもするが…(後述)。

さて、一部自転車人の間で交わされている議論に「『車道通行一部禁止』→『車道通行全面禁止』への“陰謀”」というのがあるが、これについてはなんともいえない。私は官僚組織(この場合は警察庁)の恐ろしさを知悉しているわけではないし、今の元ロシア諜報員毒殺事件をめぐる英露の角逐であるとか、9.11の米国自作自演説などに思いを至せば、長閑なものではないのか、と思うだけだ。「日米和親条約」の一部開港から四年後の「日米修好通商条約」で日本を全面開国にもっていったアメリカのスケールを思い出したりもする。それはともかく、どうもそういう流れにあるということだけは確からしいから、それを前提に話を進めていく。

「自転車を車道から締め出し」たいと警察庁が考えるのはなぜか。あるいはそれによって得する者は誰か。私が密かにニラんでいるのは、「未来の交通システム」というやつである。ITSのことだ。
よく自動運転とか交通量の自動調整とか言うけれど、そんな未来の道路には、自転車は全く走っていないことになっているという事実はあまり知らされていない(国土交通省道路局HP参照)。そしてこのプロジェクトが本格的な実行段階に移されるのが2007年なんだそうである(国土技術政策総合研究所ITS内研究報告書参照)。
超精密な道路・交通管理を行おうとすれば、ローテクの極みたる自転車の如き不安定因子は取り除くべきと考えるのはなるほど自然なことかもしれない。一部の議論として出ている「速度制限見直し」の問題は、まさにITS時代の話ということになるのであろう。クルマのスピード(40〜70キロか)に乗れない車両は、この際ご退場いただこうという話である。
くだらない話として、「『自転車車道通行禁止』→『歩道が危ないのでそれでも走る自転車』→『検挙率大幅増』」を狙う警察、あるいは「『1978年道交法第63条改正で自転車モラル低下』→『自歩間事故急増』→『歩道全面解禁で自歩間事故激増』→『78年問題うやむや』」を狙うポスト78年世代のゴマすり、みたいなことも耳にする。が、それは「シクロの視点」レベルを超えた話なので止めておく。

逆に「自転車を歩道に上げたい」と思う者は誰だろうか。まず考えられるのは現在の“歩道自転車天国”の主である「ママチャリ」の利害関係者たちである。ママチャリが車道を走らないのは、単純に遅すぎて危ないからであるが、であるゆえにママチャリ供給者たちが自転車の歩道通行原則化にウェルカムであることは明らかである。もし逆にいわゆる「自歩道」が撤廃され、自転車車道通行が原則化され(かつ取り締まりが徹底され)れば、ママチャリユーザーたちの自転車離れが起こるだろうことは容易に想像できる(ありえないけれど…)。
ママチャリ供給者とはすなわち、一台数千円で売り飛ばしてしている大型SCや東・東南アジアの低廉な労働力に恃む製造業者や貿易業、商社などのことである。全国の自転車保有台数がここ十年で一千万台以上増えている背景(現在8700万台)には、SCで乱売されるママチャリの価格破壊があると思われる。そしてそれが放置や盗難の問題と密接に絡んでいることもおそらく間違いのない事実だ。「SCで安物の自転車を買う」→「駅前駐輪場で盗難に遭う」→「悔しいがどうせ安物だからまた買えばいいかと諦める」→「また盗難に遭う」→「さすがにまた買うのは癪なので隣の自転車を失敬してくる(どうせ安物でしょ)」→「自分の愛車でないのでそのうち放置して忘れる」→「無くなれば無くなったで不便だからまた新しいのを買う(盗られても安いから平気さ)」→「駅前に駐めて置いたら撤去された」→「回収手数料が高い!! また新しいのを買うか」→「駐輪場は放置自転車の山」→「いったいこの日本に自転車は何台あるんだ!?」ということになるのだと思う。ママチャリに乗るということは、キオスクで500円のビニール傘を買うという行為と限りなく近い。私は傘におしゃれする趣味はないので、ビニール傘で満足しているし、いわゆる「置き傘」がいくつもあるような気がする。つまりこの問題は、私たちが「どんな生き方をしているか」、「どんな社会に生きたいと願っているか」について深く考えさせられることであって、便利で快適な社会を維持していくため犠牲になっているもの、大量消費・大量廃棄社会の中で失われゆく何かについての自問・再考を迫られる、ひとつのリトマス試験紙の役割を担っているといえば大袈裟であろうか。「脱ママチャリ宣言」をどこかの自治体がしてくれたら、面白いと思うけれど、それはまた別の話。

さて先述のラジオ番組でリスナー(トラック運転手の由)が面白いことを言っていた。すなわち、「競輪選手がたまに一般道で列なって練習してるでしょ。あれ中途半端に速くて追い越すのが危険だから止めてもらいたいんだよねー」。なるほど、これは一大事である。
競輪選手の「街道練習」を見たことがある人もそう多くはないと思うけれども、あれは確かにかなり速い。コンスタントに60キロ以上出ていると思う。私もかつて三重県伊勢市の街道でそれに出会ったことがあるが(きっと松阪競輪の選手たちだ)、そのときは非力な軽自動車に乗っていたので、追い越しにかなり気を使ったものであった。しかしそれはそれとして。
「提言」第4・2(4)に「自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること」というのがある。前述の某有名自転車人はこれをもってこの「提案」問題のキモであるとする行りだ。仮にその街道トラック運転手などが、かかる文言に照らして警察に訴えたとすれば、競輪選手が街道練習をするような道は簡単に「自転車通行禁止」ということになるのかもしれない。少なくともPLCで国を訴えたアマチュア無線軍団よりは同情を感じるし、もし万が一そのような事態になれば、おそらく競輪軍団はもっと強くかつ説得的な問題提起を社会に対しするであろう。ただし自転車に速度制限を設けるというのはあり得ることだと私は思っている。保険制度も含めて、自転車の社会的立場を明確にするということはまず以って必要なことであろう。

このように見てきた「提言」問題だが、これはあくまで私、不肖ディレクターAが極私的に感想を述べたのに過ぎないということは言うまでもない。これを以って我ら自転車番組『銀輪の風』の、または制作する(株)シクロ・イマージュの当該問題に対する意思を代弁するものでは決してないということを再度強調したいと思う。その上で、自転車をこよなく愛する全国二千万の番組視聴者・読者諸姉兄には、この問題に関するコメントをどしどしお寄せいただきたく、ここに謹んでお願い申し上げる次第であります。

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ぽかーん。 「自転車の歩道通行解禁で提言 子供運転や危険車道に限定」(Infoseek ニュース)自転車乗りの端くれとして一言言わせて頂く。一見...

自転車の歩道通行解禁!?/2006年12月09日 10:48

コメント

本人による転載:交通論専攻者の視点

 足りないのは“自転車”を数ある交通手段の中でどう位置付けるか、という日本人全体の共通認識そのもの、ではないでしょうか?
 共通認識が未形成のまま議論を始めても、空理空論のまま時間を浪費するばかりです。

 法律も道路構造もこの共通認識が形成されなければ進むべき方向は定まらず、結果として行政主導の税金を徴収できる自動車に偏った道路法制と行政が行われ、検証される事がない非効率で危険な道路構造が当然のものとされる公共工事だけが繰り返される、といった事象が連鎖反応で起こり続けているのがこの国の現状です。

 善悪二元論の類の話ではないですから、車道と歩道・車両と歩行者といった単純な分類では済まない事を理解すべきです。
 いちいち他者に指摘されなくとも自己判断で歩道に避難できることは、頑なに車道走行をして事故に遭う事と比較すると、悪いだけの事ではないと言えますし、現実はそうでしょう。
 とは言え、バリアフリーの観点から見ても、現在の段差だらけの歩道は通りにくく、自転車が快適に通行する事ができたものではありませんけど。

 自転車専用道路という解決法がよく言われますが、道路構造で見直すべき点は弾力性で、そもそも車線の幅に余裕があれば、わざわざ自転車専用道路を作る必要はありません。

 すべき事は“自転車を車両と位置付ける”という認識を関わる各人が等しく持ち、行動で示し、家族や友人をはじめとする周囲を感化する事。
 自身の走り方にも礼節を持つべきで、何もなければ白線から外れることなくまっすぐ走り、左右に動く際にはきちんと振り向いて手信号を行う事。
 そして、車道を走る上では交通弱者という甘えを捨てる事、自動車と対等という心構えを持って交通法規を遵守する気概が必要でしょう。

rm-112 さん(2006年12月08日 21:11)

よくわからないけど、歩道から車道の側にある白線までの幅を広く(1.5叩砲靴董白線を緑線にして、自転車優先としてほしい。
(自転車通勤歴11年のシニアより切実な願い)

良っ転車い さん(2006年12月23日 18:04)

「『自転車を車道から締め出し』たいと警察庁が考えるのはなぜか。」という問いに対して、どうして警察以外の話ばかり出て来るのでしょうか。実際に法案を準備しているのは警察ですよ。だからまず警察側に何らかのメリットがあると考えるのが普通でしょう。そこの考察を「くだらない話」として「止めてお」きながら、国交省やママチャリ供給者達に遠因があるかのような記述は話の順番が狂ってます。それこそ確証のない陰謀論ではないでしょうか。

shigehiro さん(2007年01月10日 08:44)

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